プルンプルンはもう嫌だ!

8000人の僧侶の合唱と共に花束を君に贈ろう。妄想と現実の境界線で不器用に踊ろうか。

自分的ドラマチック受験

書くか迷ったが

記憶は水で割られていくので

書くことにした。

 

僕の大学受験のお話。

 

 

僕は高3の夏までは

学校が推す商業系の国公立に進むつもりだった。

通っている学科も商業だったし

部活もバリバリ商業だったから。

夢は漠然とした起業というよくある奴。

 

そっから学祭をきっかけに

生み出すことの楽しさを再確認し、

芸術の方にシフトを変えた。

 

 

 

模試の判定はA判定

その時書いた学科内順位は1位だった。

 

そっから勉強をしなくなった。

するとしても期末テストくらいだった。

 

バイトも始めた

 

この余裕こきが後々首を絞めることになる。

 

秋のAOを受けにいった。

参加者と先生を立たせて、自作の歌を歌った

見事に落ちた。

 

この時はかなり落ち込んだ

でも切り替えは早い方だからすぐ立ち直った

 

次に面接受験を受けることにした

流石にこれは対策をした

美術先生と相談し

プレゼン用の資料と面接練習をした

これはいけると自信が湧いた

 

期末テストの帰宅中に結果を見た

落ちて発狂した

 

2回目だったから悲しくはなかった

予想通りって感じ

 

次はセンターの1次利用を受けることにした

教科数が少ないのでそれだけを勉強した

 

過去問をやりまくってバリバリ点数が上がった

 

そして本番。

過去問のやりすぎのせいで、問題形式についていけなくなった。2割減の点数を取った。大学の基準の点数よりは高かった。

 

結果は不合格。

けど追加合格対象が1番だった。

 

ドキドキしながらその期間を待ったが電話は来なかった。

 

この段階でもう浪人の覚悟はできていた

自分自身、浪人に対して悪い気持ちはなかった

どちらかというとプラスの方が大きかった

 

宝くじ程度の気持ちでセンター2次に応募した

もちろん不合格だ。

 

そして高校を卒業。

友達にはもう1年北海道にいるわーと言い、

先生には来年もお世話になりますと挨拶をした

 

 

美術の予備校を探して

体験の予約をした

(神社でいつかできるから今日できるを聞いて)

 

2日間後

1人で家にいた時

家電話がかかってきた

出なかった

そしたら携帯に電話がかかってきた

追加合格の連絡だった

 

入学式の10日前に

受かった

 

 

もし詳しく知りたい人がいれば

気軽に連絡して欲しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分を見つめる機会が多かった

多分、18年間ずっと中途半端だと思う

けどそれは中途半端を含めた全力なんだけど。

 

環境を変え自分も変えていけたらと思う

バカになってプライドも捨てて能動的に

生きていく